いいものが日本中に広がると、街が変わる。

MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO の建築

建築家が手がける家に住んでいる人は、世の中のほんのひとにぎりで、それでは街の風景って変わらないんですよ。

そう切り出した原田真宏氏。
みんなが美しい環境で幸せに暮らさないと美しい世の中にならないんですと
ご自身の建築への思いと建築の使命を語ってくださいました。

せっかく生きていくのですから、
やはり美しい世界で生きたいじゃないですか。

原田真宏氏(以下 真宏)
調和がとれた「完全な瞬間」を求めて

建築家としての僕の原風景は、実は船なんです。静岡県焼津市という遠洋漁業の町で生まれ、父は船の設計士でした。それで子どもの頃、父が設計した船が試運転に出るとき、何回か乗せてもらったことがあったんですが、港を出て、沖に行って…そうすると360度全部が海なんですね。自然の中に白い船が浮いていて、それが子どもながらに、なんだか完全な瞬間に思えたんです。人間が作った物と自然と、僕がそこにいる。その全てに調和がとられていて、すごく美しいんですよ。そしてその「完全な瞬間」が終わって、港に帰って、自分の街が見えてくる。すると、その風景になんだか違和感を感じる。

同じ人間がつくったのに、僕の町はどうして船のように心に響かないんだろう。そう思ったのが、自分を建築の世界に向かわせた一番の動機なのかなあと、振り返って思います。美しい町、世界。建築家として僕が目指しているのはまさにそこで、建築家に憧れてというよりは、美しい世界に憧れて、その手段として何がいいかと考えた時に、建築はそれができると思ったのがスタートだったんですね。

原田麻魚氏(以下 麻魚)
0から1が生まれる現場と、それを形にしていく現場

私はまったく逆で(笑)、とにかく建築家になりたかったんです。私にとっての原風景は、建築家だった父の書斎。製図板があって、カラス口があって、消しゴムのカスを払う鳥の羽があって、革張りの椅子があって…無から有、0 から1が 生まれる静かな現場というような雰囲気が大好きでした。

同時に、これも父の教えなんですが、机や椅子、本棚など、自分のものは自分でつくるということを子どもの頃からやっていまして、ものをつくる楽しさもすごく好きだったんですよね。そんな、建築の理論的な部分、「静の部分」と、実際につくっていく「動の部分」をどうやって融合させて、高めていくかをつねに意識しながら、徐々に建築家として成長しながらやってきているというのが、現状です。

真宏
今回のコラボは、絶対にやらなければならない試みだった

彼女とは僕が隈研吾さんのスタッフ、彼女は大学生だった頃に知り合いました。パーソナリティや建築家をめざしたきっかけもまったく違うんですけど、それからずっと一緒にやってこられたのは、やはり目指す先が似ていたからなんだと思います。一人でも多くの人に、美しい世界の中で暮らしてほしいといいますか。

せっかく生きていくのですから、やはり美しい世界で生きたいじゃないですか。だけど僕たち建築家が手がける家に住んでいるのは、世の中にごくわずかなんですよ。それは本当は良くないことだと思うんです。だって、みんなが美しい環境に暮らして幸せな経験を持たない限りは、美しさは世の中に受け入れられがたいわけだから、美しい世の中にならないんですよね。そう思うと、今回のような大東建託さんとのコラボ企画は、MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO として絶対にやらなければならない試みだと思うんです。

麻魚
いいものが日本中に広がるということに、意味がある

私たちのやってる建築って、一軒つくったら、そこに確実にいいものが生まれるし、一つの“理想”を示す先導役になるんですけど、それは具体的には流通し得ないものだったんですよ。でも今回の大東建託さんとのコラボって、私たちが目指している建築が一つでは終わらなくて、実際に日本中に広がる可能性がある。それはすごく嬉しいことで、ここでこそ、こういう機会だからこそ、やる意味があるなって思います。

真宏
集合住宅には、風景や暮らしを美しくする力がある

一軒じゃ終わらない仕事ですから。それと、スタートが風景をきれいにしたい、世界をきれいにしたいということなので、公共的なものやみんなが目にするようなものに関心があるのも確かです。風景をつくるものとして、集合住宅や公共施設ってインパクトが大きいじゃないですか。集合住宅が建つと、実際にスカイラインが変わるようなことになるんですよ。だから、集合住宅を美しくつくったら、みんなの風景がきれいになるはずじゃないですか。そういうことをやりたい。

もちろんそれは、暮らしという面からも言えることで、僕にとって今までの集合住宅は、海から帰ってきたときに見た僕の町のように、心に響かないものが多かったんですね。もちろんすごく経済的に合理的で効率的な建築だと思うんですが、「家」という視線で見た時に、もっと「そこにいたくなるような場所」であることも必要なんじゃないかなと思うんですね。それを実感したのが、アントニオ・ガウディのカサ・ミラという集合住宅の名作です。

子どもの頃の、あの海と船の経験から、僕の中の美しさの基準って、世の中や社会の要求を自然の要求の中に位置づける、つまり、自然と社会を調和させるというところにあるんですが、ガウディはその先駆者。彼の存在を知ったときに、「あ、自分は間違ってなかったんだ」と実感し、ぜひ彼の作品の近くで暮らしたいなと思って、文化庁の芸術家海外派遣研修員制度の奨学金をいただいて一年半ぐらいバルセロナのアトリエで働くことになったんです。そこでカサ・ミラと直接出会うんですが、実際にバルセロナで暮らしながらカサ・ミラを見ると、「人間の居場所」というものをすごく感じたんです。たぶんそれは、日本にいて写真で見るだけではわからなかったことで、そこで暮らし、その世界の中で体験しないとわからないことだったと思います。その思いが、MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO の建築の基本である、「質」に繫がっていったんですね。

僕たちが重視しているのは、
「質」や「対話」といった写真にうつらないところ。

真宏
写真からわかるのは、抽象化された建築

建築が流通する、つまり広く知られる手段は、写真なんです。写真にうつっているものを見て判断する。そもそも日本の現代建築のスタートがそう。現代建築って日本で始まってないじゃないですか。ヨーロッパで始まって、当時、それを輸入したわけで、たとえば『アーキテクチャル・レビュー』といった老舗の雑誌がたぶん船便などで届いて、その写真を食い入るように見ながら、現代建築かくありきと解釈するわけです。ところがそこでわかることは、建築が抽象化されたものなんですよ。意味とか、コンセプトといった、周辺環境との対話関係といった建築の「質」が捨象されて、抽象化されたもの。

でも、実際にヨーロッパに行って実際にモダニズムの名作などを見ると、そこには確かに「質」があるじゃないですか。カサ・ミラもそうですし、ミース・ファン・デル・ローエのユニバーサルスペースといった、いかにも抽象的な作品にも確かな「質」がある。それは、そこにあるものたちの関係性といえるもので、風も含まれてくるし、光も含まれてくるし。そんな様々な「あるもの」たちの群れがより良く調律されているかということ。

麻魚

そのものの周りで起こってくる「もの」や「こと」みたいな。人とそのものの間で発生するものみたいなことが建築本来の意味ですかね。

真宏
住み方を建築家側が決めないように、間合いをとる

僕たちはそれを「対話」とも言っているんですが、そこを建築のメッセージとして、抽象的なものと同時に持っておかないと…と、いつも考えているんですね。でもそういうものって、写真にうつらないんです。だから、写真で流通する限り、そうした「質」や「対話」って、あまり重視されてこられなかったんですよ。

僕たちの建築が評価されるときの感想に、「おおらか」というのがあるんですが、それは僕たちが、まさに「対話」が発生するように仕掛けていて、住み方を建築家側が決めないように、間合いをとっているからだと思うんですよ。一般的な住宅は、どこの部屋で何をやるというのが室名として明らかになってますよね。ここは食べる部屋、ここはくつろぐ部屋、ここは寝る部屋と。それはおかしいと思っていて、これは今回のコラボのテーマである「ストレス」にも繫がることなんですが、もっと、そういう建築からの使い方指定がないような、でもそこで何かをしたくなるような、行為を触発するような場所を用意してあげることが大事だと思うんです。

そうすると、自分がそこで何をしようかと考えるじゃないですか。主体的に。建築家に決められるんじゃなくね。そうすると建築としての対話がまさに起こり始める。対話があるって、そういうことだと思うんですね。自らそこに居場所を見つける。したいと思うことを考えるとかね。そうすると暮らしが豊かになる。そういうたくさんの、環境や建築との対話が生まれるようにつくることを心がけています。

大きな木や大きな石の周りには、
どうして人や動物が集まってくるのだろう。

真宏
建築は、「場所という質」と「空間」が重なった状態

たとえば、大きな木がドンと生えてたり大きな石がズシリとあると、その周りに人や動物が集まってくるじゃないですか。写真ではわからなくても、実際に行ってみると、集まってくる理由が何となくわかる。それが「質」だと思うんですね。建築は、この「場所という質」と「抽象的な空間」が重なった状態なんだと思うんです。ところが、その「空間」ばかりやってきたのが建築「学」なんです。でも実は、みんなこの大きな木や石の周りのこととかを感じたりしてるんです。だからそこは無視しちゃダメで。

バルセロナに住んでいたとき、ピレネー山脈の麓の村々によく行ってたんですが、それぞれの村には一つずつ小さなロマネスクの教会があって、その石造りの壁のわきに日が当たっていて、そこに小さいテーブルを出して一日中編み物をしているおばあちゃんがいたりするんです。それは、その壁が持っている力なんですね。大きな質量を持つものには、人を惹き付ける力があるんです。細い鉄骨の柱の脇ではそういうことはたぶん起こらない。

そのときに感じた、大きな質量が持っている魅力と大きな空間が持っている魅力や価値を両方確保しようと思ったのが、「M3・KG/ おおきな家」です。エンジニアウッドでできた「大きな空間」のパートと鉄筋コンクリートによる「大きな質量」のパートで構成しており、コンクリートの塊の中にプライバシーが必要な寝室やお風呂、ストレージを入れ、木でできているところが大きな吹き抜けの空間になっていて、大勢の人が集い語らえるようになっています。さっきの話とも繫がりますけど、場所の魅力と空間の魅力、それが重ね合わされた状態が理想的な建築だなということを確認したのがこの作品です。

写真 : 新 良太

M3・KG/ 大きな家 2006 東京

MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO で初めて手がけた都市型住宅。「みんなが集まって、芸術談義や文化談義ができるような、道ばたみたいな広い場所が欲しい」というのと同時に、「たくさんの大事なものを持っているので、ちゃんと守ってくれる、プライバシーを確保できるような家」という相反する要望に「大きな空間(= ㎥)」と「大きな質量(=kg)」で応えた。

真宏
建築と環境、建築と街がいかに対話できるか

もちろんそうした「質」や「対話」は、建築とそこに住まう人との間で起きるだけでなく、建築と環境、街との間でも発生します。たとえば、「Seto」。これは造船会社の社宅なんですが、実はこの建築、「地形」としてつくってるんです。岬とか山の崖とか、地形って永遠にその街にある、ある種シンボルとなるものじゃないですか。そういうずっとあるランドスケープのような建築がつくれないかなと思ったんですね。だからこの建築は、時間のことをすごく考えています。地形って永遠にあるじゃないですか。竣工時というある瞬間に最高で、それから価値を失っていくような建築ではなく、みんなが毎日眺めて、そこに行こうかなと思ったり、実際に行くことで記憶が蓄積されていくような、町の記憶装置になれるようなものができるといいねと言いながらつくったんです。

写真 : 鈴木 研一

SETO 2013 広島

単なる社宅ではなく、町が豊かになるような、町おこしの一端を担えるような公共性の高いものにしてほしいという要望があった社宅。町全体が斜面で平らな場所に人が暮らせる場所がないため、僕たちが考えたのが、広場。建築の屋上が大きな広場になっていて、夏休みはそこでラジオ体操ができるし、ちょっとしたお祭りもできる。そんな、町の人たちが集まってくるような、みんなの居場所をつくろうと計画した。

真宏
構造がデザインになるというアプローチは僕たちの原点

住宅って資産としての償却期間があって、それが終わると銀行が価値を認めてくれなくなるわけだけど(笑)、でもそんなことはないんです。償却期間が終わっても価値はあるし、むしろ蓄積されていく記憶の数は増えていくわけだから、価値は増していくべきです。だからそれに耐えうる存在として建築をつくっていくことが大切だと思います。

キャンチレバーのようでダイナミックなものになったんですが、できてみたら進水式の風景に似ていると町の人の評判も上々で、造船の町の造船会社の社宅というストーリーとしても合ってるし、町の土地の形としても相応しいものができたかなと思います。

建築的には崖の上にはみ出させて大きな広場をつくっているんですが、それを可能にしているのがやじろべえのような構造で、先端のはみ出している部分を後方のカウンターウェイトが支えているわけです。こうした、構造がデザインになるというアプローチは、MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO のデビュー作で追求し、その後の作品にずっと受け継がれていて、僕たちの原点といっていいと思います。

そのデビュー作というのが、「XXXX /焼津の陶芸小屋」です。どんな小説家でも、デビュー作にはすべてが入っているといわれますが、確かにここには僕たちの理想、目指しているもの、多くのベクトルが入っています。たとえば構造の在り方。この建築は150 万円という予算のもとでつくったもので、予算上あまり材料が使うことができないから強い形を探す必要があったんです。強い形だから少ない材料ですむというような、ものの在り方としての必然性ですね。それから作り方。予算の関係上、自分の手で建てなければいけないから、大人二人くらいでつくることができるという条件から生まれたデザインです。

環境のこと、構造のこと、作り方のこと、お金のこと…という、様々な建築にまつわる要因を、一つの形ですべて解くということを、ここでやったんですね。僕は一つの純粋な形、あるいは角度とか線でいろんなことが解決できたら、それは強いデザインになるなと思っているところがあるんですけど、これはそれができた最初の建物なんですね。

写真 : MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO

XXXX/ 焼津の陶芸小屋 2003 静岡

左右に傾く2種類のフレームを1ユニットとして、壁面にできるX 型が反復されることで1種のズレトラス構造となり、強固なチューブ状の無柱空間ができ、同時に、3角形の隙間から光も入る。そんな構造でデザインするというアプローチ。後日、日本でも最も著名な建築構造家のお一人に「東海地震が来ても壊れない」と、お墨付きをもらった。

麻魚

大学時代、建築の「動の部分」にのめり込んで、セルフビルドの小屋をつくったり、家具をデザインしてみたりとか、そういった方向にどんどん進んでいったんですが、そのスキルやノウハウがいかんなく発揮できましたね(笑)。

真宏
地産にこだわると、その町のシンボルになる

その意味でさきほどの「Seto」は、僕たちの原点である「構造とデザイン」というアプローチを受け継ぎ、かつ「土地を表すシンボルをつくる」という新しいベクトルを指し示した建築となったわけですが、その話で繫がっていくのが、「Roadside Station in Mashiko / 道の駅ましこ」ですね。

この作品は、僕たちの初めての公共建築で、益子町にあるすべてのこと、ものだけでつくろうと取り組みました。たとえば三角屋根が連なる特徴的な形は益子の山の稜線の角度やリズムをモチーフに、材料もこの土地で採れる八溝材杉を使ってというように。また益子は陶芸の町で、街のコンセプトに「土のおもてなし」というキーワードもあることから、陶芸土で三和土をつくり、壁もすべて土で左官して、「土のおもてなし」を表現しました。まるで地面が立ち上がってきたような、生えてきたような世界をつくったんです。

写真 : 藤塚 光政

Roadside Station in Mashiko /道の駅ましこ 2016 栃木

形も、それをつくる素材も全部、町産であることが最大の特徴。それがこの町らしさ、スピリットとなって、建築が町の魅力から抽出されたもののようになる。

麻魚
建てたいという理由の少し遠くまで見通して

建築を建てる理由って、刹那的な要望が多いんです。「Seto」も「道の駅ましこ」も、こういう用途の建物を建てたい、予算はこれくらいで・・・という要望を伺うわけですが、そこだけに応えると、やっぱり建築も同様に刹那的な価値しか生まないと思うんですね。私たちはその建築を建てたいという理由の、もう少し遠くまで見通して、価値を投げたいんです。

社宅も、単なる社宅ではなくて、地域が山がちなので子どもの遊び場もないから、地域の子どもの遊び場をつくろうとか、地域の景色が自分達で見られて、町づくりの場としてこの建物が機能するようにしようと。道の駅もそうですよね。単なる道の駅としてだけでなくて、町の人にとっていい建築にしないと、長く愛されていかないですから。その建築が町の人にとっての何になるのか、ということは深く考えています。

真宏
町の魅力を形にした建築は、場所を強める

町の魅力を顕在化する、みんなにわかってもらえるようにするということですね。そして、そういう風にしてできた建物は、とても新しくて、ある種抽象化されたものでもありながら、場所と喧嘩せず、むしろ場所性を強める効果があって、その建築があることで自分達の町の風景ってこんなにいいんだとか、自分たちが暮らしている世界はこんなに美しいんだなと、町全体が思うようになるじゃないですか。それは素敵なことだなと思っていますね。建築だけで終わらず、益子町そのものが美しいと思ってもらえるわけですから。

オープニングの日に、町の人が「私たちの町って、こんなにきれいだったんだ」と言ってくれたことが忘れられないんですが、それこそが僕たちの目指す建築。建築の価値なんです。その意味では、最初に言った自分の動機、美しい町をつくりたいという思いからいうと、目的が確実に果たされていっているのかもしれないですね。

より美しい世界をつくるために、今後は橋や空港、港など、
街のランドマークとなる大きなものも手がけていきたいとおっしゃるお二人。
この後は、いよいよ大東建託とのコラボレーションについて
語っていただきます。

コラボについて
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